れぷすたぶろぐ

思ったことを適当に書く

YouTubeとニコニコ動画

はいどうも!バーチャルはてなブロガーのRepsterです!

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おはよー!こんにちは。毎日輝夜月ちゃんの動画を見ているRepsterです。

ちょうど1月前、niconico(く)が叩かれたなかで「ニコニコの一番危ないところは、キズナアイのようなニコニコから生まれるべきだったコンテンツがYouTubeから生まれるようになったことだ」というコメントを見た。

たしかに、二次元キャラが話したり動画実況をするというのは「オタク的」であるし、「ニコニコ動画的」に見えるのかもしれない。しかし、私は「キズナアイ」はニコニコ動画からは生まれなかった、より正確には、生まれてもここまで成長することはなかっただろうと考えている。

 

ニコニコ動画は、画面上を動画時間に合わせて流れるコメントが最大の特徴である。言い換えれば、動画のレイヤーの上に、もう一つコメントのレイヤーが配置されているのである。

このことは、見た目のダイナミックさやコメントによる盛り上がりの他に、大きな意味を持っている。すなわちそれは、私たちは動画のレイヤーを直接見ていないということを意味している。私たちはコメントを通して動画を見ているのであって、動画そのものを見ているわけではないのだ。

コメントを通して動画を見るとは、動画から一旦距離を取って動画を見るということである。コメントでは他者の感想などが流れてくるが、コメントを消さない限り、私たちはそれを否応なしに見ることになる。他人の感想を見ることで、その動画がどういうものであるのかを、距離を取って客観的に眺めることになる。

 一方YouTubeにもコメント欄はあるが、動画の下に配置されているために必ず見るというわけではない。つまり、私たちがYouTubeで動画を見るときには動画を直接見ることになる。そこで私たちは動画の純粋な視聴者であり、動画から距離を取って眺めるためにはYouTube単体では非力である。

 

よく「YouTubeにはコメントがないからあまり面白くない」だとか「ニコニコのコメントがあるとどんなクソ動画でも面白い」というのは、単にコメントが面白いからとか、みんなのコメントで盛り上がるからとかいうことの他に、その動画をメタ視点で"イジって"見ることができるからということがあるように思われる*1

動画に限らず何かを"イジる"ときには多かれ少なかれメタ視点に立つ必要があるし、逆もまたしかりなので、コメント機能によってメタ視点を与えてくれるニコニコ動画は、"イジる"のには最適なプラットフォームである*2

 

また、ニコニコ動画のコンテンツは、うp主が始めから終わりまで視聴者を楽しませるというよりもむしろ、視聴者がコメントを付けてコンテンツを作っていく傾向にある。すなわち、ニコニコ動画では動画がアップロードされた時点がコンテンツの終わりなのではなく、むしろアップロードされたあとにコメントを付けて楽しむところまでがコンテンツなのである。これは「コミュニケーション重視のコンテンツ」と言えばよいだろうか。

一方で、YouTubeのコンテンツは、画面上を流れるコメントがないため、YouTuberが始めから終わりまで視聴者を楽しませるように設計されている。それは、テレビやラジオなどの旧来のメディアが提供してきた「コンテンツ重視のコンテンツ」である。

 

他に、これが一番大事だと思うのだが、ニコニコ動画はコメント機能やタグ検索のしやすさによってコミュニティがニコニコ動画内で完結しやすい傾向にあるが、それに対してYouTubeTwitterなどのSNSを通じてコミュニティが広がる傾向がある。

これは非常に大きな違いである。ニコニコ動画で流行ったものはたしかにニコニコ動画内では流行っているのだが、その外にまで広まることは決して多くはない。それに対してYouTubeは、コミュニティがYouTubeで完結しないがゆえにYouTube外のSNSで話題にする機会が多くなりやすい。

つまり、あえて動画内コメントで盛り上げないことによって外で盛り上がることになり、それが広告として機能する状態となるということだ。

 

このように、YouTubeニコニコ動画は同じ"動画サイト"というカテゴリに属していながら、全くといっていいほど別の論理に基づいている。

バーチャルYouTuberがここまで流行ったのには、「アップロードの時点で完結しているコンテンツ」を視聴者が「純粋な視聴者として」見て「SNSで共有した」ことにあるのだと私は考えている。

 

YouTuberの動画はニコニコ動画にも転載されていて、それを見るとコメントでさらに面白くなっているのだが、それは既に流行っているYouTuberを"イジる"方向で面白くなっているように見える。YouTuberをたたき台にした上で自分たちで楽しんでいるように見える。2ちゃんねる的な楽しみ方といえば適切だろうか。

バーチャルYouTuberがニコニコ動画で誕生していたとしても*3、より視聴者が作っていくタイプの"イジり"やすいコンテンツになっていただろうし、ニコニコ動画内のコミュニティで完結するような閉じたコンテンツだっただろう。

 

たとえニコニコ動画がしっかりしていたとしても、私はYouTuberはYouTubeからしか生まれえなかった、すなわちYouTuberが流行したのはYouTubeだったからと思うのはこういう理由である。

"イジる"文化が強いニコニコ動画では、流行しているYouTuberを転載動画で"イジる"今の状態が一番ニコニコらしい状態なのではないかと、1人のニコ厨として思っている。

 

[追記]

的確なツイートがあったので引用

*1:ここで言う"イジる"は、単なるイジることの他に、少し斜に構えて見ることも含むと考えると正確だと思う

*2:歴史的には2ちゃんねるから受け継がれた文化であるが

*3:近いコンセプトのものは実際あった